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九州 最高ばい!(名護屋編)

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名護屋城
天下統一を成し遂げた太閤秀吉が、大明帝国を平らげるという途方もない妄執から始まった文禄・慶長の役兵站の最前基地として築城された城。
その規模の大きさに驚く。大手門の大きさから考えると後世の天下普請で築城された名古屋・和歌山城クラスの大きさは軽くあると素人にも判る。
城周辺には各諸大名が建てた陣跡が判っているだけで北は津軽信為・南部信直氏から南は島津義弘氏まで当時の太閤の威光がこれからも示される。城へ行く途中 伊達政宗黒田長政氏の陣跡を通ったので碑のひとつもあるのかと探したが、こんもり小高い雑木林だけで何も見当たらない。県立名護屋城博物館の人に聞くと史跡として整備されているのはごく一部で大半は雑木林であったり私有地であるとのこと。「それはそれは申し訳ない」ということで鎮西町教育委員会が作成した“陣跡分布図”を貰う。現在整備されているのは木下延俊・前田利家・堀秀治・九鬼嘉隆・羽柴秀保・加藤嘉明氏陣跡のみらしい。貰った“陣跡分布図”を眺めていると久しくやっていない信長の野望がしたくなった。
天主台に登ると遥か対馬まで望める玄海灘の絶景。
「太閤が睨みし海の霞かな」青木月斗の句が立つ。詩こころがないぼくでも感ずるなにかがある。
太閤の治世に関しては300年磐石に続いた徳川の治世と比較すると その儚さが愚行を美しく詩的なものに変えてしまう。
ここには間違っても天守閣・櫓など再建しないでほしい。
来たものにロマンをかきたてる玄界灘の海と荒涼とした石垣があるんだから。

関連推薦図書
安部龍太郎 「玉のかんざし」~忠直卿御座船(講談社文庫)より
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