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阪急ブレーブスとミニを愛する管理人が綴るブログ

芸州路ぶらぶら(吉田郡山編)

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日曜日の試合観戦の前に行った土曜日の芸州ぶらぶら
別に城マニアでもなく城郭研究家でもないんだが、なぜか城が近くにあると行きたくなるなぜでしょう?
今回は安芸吉田郡山城

肥前唐津城~当Blog/2006年8月15日】
URL: http://blogs.yahoo.co.jp/mrbluewave/38874144.html
肥前名護屋城~当Blog/2006年8月16日】
URL: http://blogs.yahoo.co.jp/mrbluewave/38906358.html
筑前福岡城~当Blog/2006年8月17日】
URL: http://blogs.yahoo.co.jp/mrbluewave/38946669.html
【大和高取城~当Bog/2006年10月1日】
URL: http://blogs.yahoo.co.jp/mrbluewave/40568910.html
【讃岐丸亀城~当Blog/2006年11月9日】
URL: http://blogs.yahoo.co.jp/mrbluewave/41877482.html
伊賀上野城~当Blog/2007年10月15日】
URL: http://blogs.yahoo.co.jp/mrbluewave/49968101.html
【土佐安芸城~当Blog/2007年11月23日】
URL: http://blogs.yahoo.co.jp/mrbluewave/50615379.html


吉田郡山城
稀代の謀雄が一国人から中国地方の覇者になった毛利元就が本拠とした吉田郡山城
広島から車で1時間半以上ある狭隘な盆地にその城跡はありました。
吉田町歴史民俗資料館前の司馬遼太郎氏の記念碑がお出迎え。
"城趾の山から降りてくると、白橿の幹のむこうに盆地がみえる、一歩ごと蛙の声が近づいてくる"と刻まれている
典型的な中世城郭で信長のような革新性はまるで見られない。
「我が毛利家は、版図の保全のみを願い、天下を望むなかれ」という家訓を残すだけありある意味 その後の毛利家の異常な保守性が頷ける城構えである。
元就という英邁には凡庸な末裔には現在の版図を守り切れないと悟った達観した境地であったのであろう。
維新前夜 過激派家臣に担がれて政局の渦に放り込まれるが、人の良さというのかお育ちの良さというのか特に能動的に活動した訳ではないのだが維新回天の功労者としてその末裔は新政府最高の爵位に納まることとなる。
一方 同時期 幕末四賢侯と称された土佐の山内容堂などは自身の才と貴種であることに自己陶酔するあまり、結果 時代の歯車を止める役割しか負わなかったため新政府では不遇をかこつこととなる。まぁそれはそれで歴史人物としては個人的には好きなんですが。