寒いけど京都(その1)
最近余りに寒いので湯豆腐はどうよ
ということで京都まで来ちゃいました。
京都出身の人間にとって湯豆腐は嵯峨の森嘉あたりで買って帰って家で食べるのが常であった。
外から来た“よそ”のひとが何千円も払って湯豆腐なんて食べはるんやってね。
もう京都を離れて20年近くなり立派な“よそ”のひとになりました。
清水寺に向う二年坂の途中にそのお店はありました。
清水寺や金閣寺とか地元の人は意外と行かないんですよ。
このあたりの散策も20年以上振りです。
ということで京都まで来ちゃいました。
京都出身の人間にとって湯豆腐は嵯峨の森嘉あたりで買って帰って家で食べるのが常であった。
外から来た“よそ”のひとが何千円も払って湯豆腐なんて食べはるんやってね。
もう京都を離れて20年近くなり立派な“よそ”のひとになりました。
清水寺に向う二年坂の途中にそのお店はありました。
清水寺や金閣寺とか地元の人は意外と行かないんですよ。
このあたりの散策も20年以上振りです。
趣きのある門をくぐると庭に見える座敷に通されます。
同じような座敷はいくつもあり飛び石の休みなので人出も少ない筈であるが結構繁盛しています。
春・秋のハイシーズンならどうなっていたのでしょう。
同じような座敷はいくつもあり飛び石の休みなので人出も少ない筈であるが結構繁盛しています。
春・秋のハイシーズンならどうなっていたのでしょう。
若い頃ならなんでこれがこれだけの値段かなんて到底理解出来なかったけど、京都を離れて20年近く経ち立派な“よそ”のひとになるとなるほど趣深いなぁと思うわけです。
京都というところの文化の分厚さが
“こけおどし”と解っていつつもそれを凌駕する双肩する文化が他の地方に日本にないことを
“よそ”のひとになってはじめて気付くわけです
京都というところの文化の分厚さが
“こけおどし”と解っていつつもそれを凌駕する双肩する文化が他の地方に日本にないことを
“よそ”のひとになってはじめて気付くわけです